2019.02/28 [Thu]
メタフィジカルを超えて今ここに機能するのは?

シータを学んだとき、何度か味わったことのある源に還る道みつけた!っておもったから
DNA3まで習って思い込みをどんどん手放した後,
あ、源って人によって感じ方エナジーが微妙に違うってわかったんです。
フィルターなのかなんなのかわかんないけど。
で、私第七層や光の粒子のさらに奥にただ何の光もないただ気づきのあるただ無限なスペースを感じたんです。
光らない光のようなスペース。
ただ安心で個の感覚もなくただある感じ。
純粋な意識。。と知り私は受け取りました。
光は素材と受け取りました。
それから純粋な意識と光の粒子という二つが私のなかの中心の要素になりました。
それからなんとなくシータのエナジーフィールドを卒業して
自分のソースフィールドをもういちど感知しはじめたのもそのころ
やましたひでこさんの断捨離にであって、断捨離しつつアクセスに出会ってる今です。
瞑想や宗教、心理学やメタフィジカルな教え(主義)などのものの見方は
完全に迷いに入ってお先真っ暗だった私に
全く見えていなかったところを整理してここが痛いでしょと観れるようにしてくれたりお薬的癒しを与えてくれた羽根布団だったとおもいます。
お先真っ暗だったこの次元に生きる理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考えてどうにか納得して
脳みそを楽しませて賢くなった氣とかして、
天国や別次元で遊ぶのが楽しかったのよね(*^-^*)
何しろ「なんでだろう、なんでだろう」に応えてくれる先生や仏や天使たちとの会話は、たのしかった★
何でだろう(WHY)がここまでつれてきたのも確かだけど
何でだろうは知らないことを強化し今この状態に疑いをもたらす。対象と離れてしまう。
到達しようとしたところの寸前でそれになれなくする。
それが輪廻を生んでいます。
しかも答えは自分にないと思っているので常に師に教えてもらおうとする。
それが悪いとは言わないけど自分に軸がない。
さらに、
なにか間違うとおもうと師や導く存在が悪いとなって自分より師や神に中心を置いてるほうが
この現実自分の責任なくいられるという逃げだったのかもしれないなあ~。
お先真っ暗だと思って諦めてたこの次元より神様天国や宇宙人次元や別次元に「あがって」
私の得意な「観る」イメージの世界で楽しかったわ~今も楽しい(*^-^*)
実験も魔法もドラマストーリーもイメージも学びも楽しいし機能させるときは機能させる。
だからそれらを否定もしないし、それも当然含んで今でも私の素敵なクリエイションの一部。
今では、しゃあない、今ここに生きてるんだから自分が自分で自分するんだと決めた。
と断捨離を機に初めて「自分の生きる空間をどうしたいのか。」ってことに地上の自分に目が向いたのですね。
うーかわいそうな体、と部屋、お待たせってかんじです。
思ったり観たものがそれになるだけとわかっているので過去生や原因を追究検証するより、
今現実化している思いは何?どう変えられる?と訊くほうが、断然速い。
やっと天地両輪で巡りはじめたのです。
断捨離の視点はちゃんと今も毎月学んで、気づいて取り組んでやってるんだけど、
アクセスコンシャスネス®の創設者ギャリーが言ってることとやましたさんが言ってることすごくかぶってて
同時期に気づいてる感じがあってなんだろう、コンシャスネスの同じようなソースにアクセスしてるんじゃないかと感じてます。
ギャリーが最近シェアしてた記事で誰かのラジオに出演して最近言ってた事だけど
(まったく誰とかどうでも良くなっててすみません、、、)
「アクセスのほかに違う方法でコンシャスな人々が貢献していることはすばらしくありがたいこと」というようなこといっていて。
たとえば、
やましたさんはギャリーの「超えた現実」の視点の手前のところを実際の現実を断捨離によって今ここを変えるところから実用的に機能させていってくれるところが私にとって日本の方々にとって本当に素晴らしくありがたく感じます。
もちろん彼女の固めたものの見方もあるけどそれに今は私も気づいて許容でいられて自分軸でいられるので、私の中で彼女を教祖にすることもなく。もちろんギャリーも。
いい感じでこの二つの視点はイマココ地を生きる上で私の役に立ってます。
自分の視点を広げて色んな視点を体験することがこの世界の醍醐味。
今どんな視点にでもなれるしおもしろいなと思います。
そして視点をなくすのもおもしろいと思ってます。
(長文失礼しました)
ありがとう。POI
POD POC EJG
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